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1994年シーズンは私にとって記憶が無い年 - 英雄アイルトンセナの世界

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1994年シーズンは私にとって記憶が無い年

2年前(1992年)から、チャンピオンシップ争いに台頭してきた

ウイリアムズルノーのマシンに念願かなって1994年から乗れることに!


そして、4度目のワールドチャンピオンになることを夢見ていたアイルトンセナ。


しかし、この年から、アクティブサスペンションなどのハイテク装備が規制により廃止となる。


そのため、

91年から開発してきたエアロダイナミクスでなんとかこのハイテク機器が廃止された規制の中でも

トップを走ろうとしてきたが、結果、ものすごくピーキーで敏感なマシンになってしまった。


マクラーレンに所属していた時期が長かったため、

ウイリアムズのステアリング位置やブレーキシステムなどに

慣れるのにも時間を要することになる。


それでも開幕からポールポジション3回を獲得するのはさすがアイルトンである。



また、この前年1993年に最大のライバルであるアラン・プロストが引退をし、

自身がF1を引っ張っていく形となり、見本となるべくしてのプレッシャーもあった。


1993年、アラン・プロストが引退を決意したときは、アイルトン・セナは必死に説得したという。

でも、アラン・プロストの意志は固く、決意は変わらずだった。


ライバル不在の1994年。

アイルトン・セナは独走するかと思われたが、思わぬトラブル続出で、ノーポイントのまま

運命の日を迎えることとなり、予選トップからそのまま、だれにもトップを譲ることなく、


天に旅立つこととなる・・・・・セナらしいといえばそれまで。


セナはドライバーの安全を言い続けてきた。

しかし、上は動かなかった。


だけど、このセナの死をもって、理解され、F1マシンだけではなく、

すべてのレースにおける安全性という大切な要素を見直すきっかけになってくれた。


セナが天に旅立って18年いまだにF1界で同じ事故が出ていないことはどれだけすばらしいことか・・・

と考える。


いくらすごい事故が出ても、軽傷で済んだり、骨折で済んだりしている。


マシンの安全性があるからこそ、ドライバーも安心して全力疾走出来るのである。

それが今は守られているような気がする。






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