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今だから言える、セナとプロストの関係?

1994年5月1日

イモラサーキットでセナが事故を起こしてそのまま天に召されたという悲しい事実があります。


セナは、プロストやマンセルなどと高めあい、マクラーレンホンダとして16戦中15勝と

圧倒的な強さを見せ、その内セナは8勝を挙げ、日本でタイトルを決めた。


セナといえばモナコ

モナコと言えばセナ、というくらいにセナとモナコの相性も抜群でしたね。

1992年モナコGPでのマンセルとの接戦は、ものすごいものがありました!


1993年ヨーロッパGPドニントンパークでは、予選4位ながら、小雨を利用して、

一時5位になるが、オープニングラップでコーナーを神業とも言えるドライビングで

トップになりましたね!


そんなアイルトンセナですが、ちょっとした裏部分についてお話したいと思います。


プロストは1993年をもって引退をしました。

プロストの引退理由の一つに「セナの加入」が大きくありました。

プロストは1993年ウィリアムズ・ルノーと契約

その中での条項に「セナをチームメイトにしない。自分の在籍中はセナと契約をしない」

というものがありました。


しかし、ルノー側がセナを呼び寄せ、フランク・ウイリアムズとプロストを妥協させ契約しました。


そのため、プロストは、「セナとライバルは良いが、チームメイトはごめん」

ということで引退をしたのです。


これが、セナのあの事故につながるのか?

という疑問が生まれます。


しかし、


当時ウイリアムズルノーのコクピットはマンセル仕様だったため、

プロストは変更するように要求。(当然ですよね)


1年前にこういったことがあったウィリアムズですが、

1994年用のマシンFW16もプロスト仕様のコクピットとなっているのです。

セナも当然気に入るわけがありませんね。


当然、セナはピットクルーなどにセナに合うコクピットにするように改善をしていきました。


セナの事故説には「ステアリングロッドの故障説」があります。

しかし、コクピットもそういったことに係わっているのではないだろうか・・・?



セナの胸中


セナはイモラに入る以前、プロストに復帰をするように話をしていました。

セナはウィリアムズチームに馴染めていないこともあり、

旧友と話を良くする機会がありました。


その際に、親友のベルガーやプロストに

「マシンがピーキーだ」「まだ乗りこなせない」

と言っていたようです。


イモラでの後輩にあたるパリチェロがクラッシュしたときには、

セナはいち早くパリチェロの元へ走っていったのです。


ラッツェンバーガーの事故でも激しく同様。

その時の恋人アドリアーナに「もう、走りたくない」

と話したんです。


事故死を目の当たりにしてナーバスになり、

今まで事故を恐れぬ、切れ味鋭い走りをしてきたセナにとって、

「F1」というもの「安全性」というものを改めて考えるようになりました。


アドリアーナのことも、

「金目当て?」

と疑われていて、セナの心も落ち着きが無かったのです。


本戦に弟、レオナルドに「彼女がダ・シルバ家にふさわしくない証拠」を持たせ

イモラにいかせるほどだったのです。


様々な事実が交錯していた当時のセナを、プロストは後のインタビューで言っています。

「彼の人生はもうレーシングだけではなくなっていた・・・・・・」

持ち前の「レースに全てを掛けること」を失ったセナはグリッドでヘルメットを脱ぎ、

深刻な表情を浮かべていました。


グリッド紹介で自分の名前が呼ばれても笑いませんでした。

ただ最後にベルガーが紹介されたとき、微笑みました。


親友のベルガーよ・・・・

親愛なるライバルプロストよ・・・



セナ、、私はあなたを永遠のヒーローとして一生忘れることはしないでしょう。。





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